いのちそのもののながれを「川の流れ」に例えて古代哲学者ヘラクレイトスは「万物流転」を説いた。遠藤隆吉はこの概念を自身の思想的帰結である「生々主義哲学」の中核 に据えている。しかし、その哲学の内実は判明としないままである。本論ではその解明の端緒を見出だそうと試みた。生々主義哲学では「生々そのもの」としてのあらわれ(そのものと同時にその展開としての現在)を観る
ことが重要である。それは人間の生命も,自然の生命も,そして神々をも包摂する宇宙
の「事実」として捉えられている。その事実について、哲学は生々そのものを「理想」のあらわれと見ることが説かれている。生々そのものは神々の源流であり,神々の理想であると同時にわれわ
れの理想のあらわれ(現前化)としてあるということになる。生々主義はしたがって、今を生きる一人一人の哲学的認識に基づいて見出され
うる各人の理想の実現を目指すものでなくてはならないと主張するのである。