本論文では、ビジュアリティ(光記号)とオーラリティ(音記号)の双方を記録することのできる映像の利点を論じ、2015年8月と米国オバマ大統領が来訪した2016年5月27日の平和記念公園におけるビデオ撮影調査で得られた映像群を分析した。
原爆死没者追悼の行為の意味は、複数の声のせめぎ合いによって単一的な解釈から逃れ、他者に向かって開かれていた。それぞれの行為の文脈に応じて発せられるポリフォニーが「ヒロシマ」の意味をさまざまな視点から生成させ、平和記念公園の祈りの文化実践を立ち上げていたのである。それは、現在の平和記念公園という「いま・ここ」に集った人びとが、対話やまなざしの交差を媒介に、「かつて・ここ」に投下された原爆とその惨禍に対して、自身の祈りの意味を呈示していくドラマトゥルギーであった。