生成AIをはじめとする人工知能(AI)の発展は、人間の労働と企業における価値形成との関係を大きく変化させつつある。AIと所得分配をめぐる既存研究は、主として労働市場の需給、要素価格、マクロ的な労働分配率の変化という観点から論じてきた。これに対して本稿は、AI時代の賃金問題を、単なる雇用代替や労働市場の問題としてではなく、AIを含む企業活動によって形成された価値の分配問題として捉え直すことを目的とする。
AIは企業の価値形成に寄与し得るが、その成果を賃金、役員報酬、配当等として受領する主体ではない。このため、AIによって形成された価値が誰に帰属するかは自動的には決定されず、企業内部の分配決定を通じて具体化される。本稿は、筆者がこれまで提示してきた分配決定権の視点に基づき、市場における価値形成と企業内部における価値分配とを区別し、これを「AI価値帰属問題」として定式化する。そのうえで、賃金を、企業活動によって形成された価値を労働者へ帰属させる分配形態として捉える。
さらに、井尻雄士の会計測定論における効益と犠牲の概念を援用し、AI導入による効益と犠牲が必ずしも同一の主体に帰属しないこと(「効益・犠牲の帰属主体分離」)を示す。また、生存保障と企業活動による追加的価値の分配とを区別する「生存保障・追加分配の二層構造」を提示し、ベーシックインカムが導入されたとしても企業内部の分配問題は残ることを指摘する。
以上より、本稿は、AI時代の賃金問題の核心が、AIが人間の仕事を代替するか否かだけではなく、AIによって形成された価値を誰に帰属させ、その過程で生じる犠牲を誰が負担するのかという分配問題にあることを示す。本稿は、実証分析に先立ち、問題の所在と分析枠組みを提示する試論である。