本稿では,「近代オリンピック」およびその復興運動期において行われたさまざまな地域的「オリンピック」についての考察を行った。
1896年にクーベルタン男爵によって提唱された「近代オリンピック」は,当初,産業的・文化的な要素はほとんど持ち合わせていなかった。同じく19世紀に誕生した産業的・文化的な国際イベントである万国博覧会と「近代オリンピック」を同時期・同都市で開催することにより,オリンピックはスポーツの国際イベントとしての地位を確立していった。
その後,20世紀中葉において,オリンピックは独自の産業的・文化的な要素を持ち始めるようになり,現在においては,オリンピックに欠かせない重要な構成要素となっている。
このオリンピックがもつ産業的・文化的な要素は、近代オリンピックの誕生以前から存在したギリシアの「オリンピア競技会」やイギリスの地域的な「オリンピック」である「ウェンロック・オリンピック」においても確認された。特に,「ウェンロック・オリンピック」においては,イングランドの伝統的な文化とギリシアの古代オリンピック文化の融合が図られていたことが見て取れた。また,この地域では労働者に対するオリンピック教育も行われ,オリンピックへの参加が労働者の生活改善に繋がるという教育的な役割をも担っていたこともうかがえた。