マックス・ヴェーバーにおける宗教と経済という問題は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の再解釈という性格を帯びる。その再解釈に際しては、『倫理』以外の業績と『倫理』との関係を考慮する必要がある。本稿では次の三点を指摘した。第一に、ヴェーバーは経済や法の概念とは異なり、宗教概念に対してのみその本質規定の拒否を「明記」したが、そこには同時代の宗教研究状況に対する彼の宗教社会学の位置が反映されている。第二に、ヴェーバーの宗教社会学には歴史的研究と理論的研究の二つの方向があるが、歴史的研究は理念型を駆使した理論的性格をもち、理論的研究には『倫理』など歴史的研究の成果が盛り込まれている。相異なる方向性をもつ諸著作は完結しているのではなく、著作間の相互連関によって問いが深化しているのである。第三に、神義論問題は経済格差の問題として解釈可能であり、経済的不平等を正当化する宗教倫理の形成と作用の問題は、現代の宗教と経済の問題を考える上で重要なヒントになる。