大安や仏滅などの六曜をはじめとする吉凶に関わる暦註は「迷信」とされ、明治改暦(1872、明治5)以後、排除される方針となったが、民間を中心にその後も官憲の目を盗んで発行され続けた。しかし、日中戦争の選挙区の深まりとともに、取り締まりが強化されていく。暦をめぐる庶民の生活と政府の統制との争いについて歴史的に考察した。なお論文タイトルに「戦後」とあるが、本稿ではそれに至る過程としての戦中までを扱った。分担執筆ではなく、細部に至るまで共著者同士の検討を重ねた共著。以降に発表する各号も同様。共著者:下村育世)