会計という言葉に込められた意味は、「会って功績を計る」ことにある。人々が他人の成果を利用する取引においては、その取引に効用のあることを計る会計がおこなわれる。効用を見いだすことができれば取引は繰返され、見いだすことができなければ終了する。貨幣が生まれる以前から、そして記録がおこなわれる以前から会計という行為は存在した。会計なくして、取引の継続はない。会計なくして市場は成立しない。
リトルトンは、『会計発達史』で、「古代の会計は問題外」としたうえで、近代会計の発足点をパチオリの『ズンマ』に求めた 。また、新井清光は、会計公準を『会計公準論』で「論証なしに、広く一般に自明のものとして認められうる基本的な前提条件または仮定 」とした。これ以来、会計公準は、会計制度設計の際の基礎とはされたが、その前提がいかなるものかの検証は忘れられた。
本稿では、『ズンマ』以前の会計を中心として取引がその目的と結果に分けて記録されるにいたった要因を検討した。
この検討により、「会って功績を計る」という会計の目的を果たすために、会計が記録として求められるのは、功績を計る者と、その対象となる者との利害関係の大きさと、その信頼の程度に反比例することを明らかにした。
会計は、市場を成立させるための不可欠の要素であり、どの様な情報が必要かは、そこにある人間関係から規定される。