誰もが喜んで受け取って、お金に価値は生まれ、市場で機能することができます。二宮は、昭和21(1946)年から昭和33(1958)年までに発行された1円札の顔となります。日本が著しいインフレーションにさらされた期間です。日本銀行の小売物価指数は、昭和20(1945)年8月から昭和24(1949)年5月の3年9か月の間で79倍になります。インフレーションは、信用の裏付けがないのに貨幣を大量発行することから始まります。最初に印刷されたお金で借金を返す人が、最初にそのメリットを享受します。戦時中や、敗戦処理のための政府の借金の実質的な負担は、この期間のインフレーションにより当初の1.2%まで小さくなります。升の量目がどんどん大きくなったようなものです。二宮が最初に才覚を発揮したのは、小田原藩で年貢の取立てに使われていた様々な大きさの升を統一することでした。お札の二宮は、借金の量を計るお金という升が、どんどん大きくなるのを、ただ眺めていました。議会の動きを市民に明らかにする議会改革が進んでいます。議会改革が目的を果たすには、市民と議員が、あるべき自治体の状態を知り、その後自治体の現状を知ることです。こうして、行政がなすべき仕事を適切に判断することができます。その判断を可能にするのが公会計改革です。