企業会計が機能しなかった時代のアダム・スミスが、株式会社の経営者を「怠慢であり浪費家」だと考えたのも無理はありません。イギリスで男子普通選挙が実施されたのは1918年。アダム・スミスの頃は、市民は権力者を選ぶことができまん。アダム・スミスは、株主が経営者を選ぶことができないのと同じ理由で、「人類の支配者の暴力と不正行為」を昔ながらの悪徳としました。この恐怖から、支配者の「人事の特質」から逃れる「余地」はないと嘆いています。アダム・スミスがそう考えたのも無理はありません。市民革命により、主権と権力が分離しました。市民は権力者を選ぶことができるようになりました。昔ながらの「暴力と不正行為」を行う支配者を選ぶのか、退場を命じるのかを選ぶことができるようになりました。市民は支配者を選ぶことで暴力と不正行為をコントロールできるようになりました。しかし、選んだ権力者が適材であることが分かる会計がなければ、アダム・スミスの「恐怖」は、今も続きます。