踊る身体のディスクール
イメージ批評を中心に語られてきた身体運動の世界に、理論的視点からメスを入れる。誰もが所有してしまっている「身体」というメディアを舞踊の歴史を紐解きながら解説する。身体という道具を武器に舞踊はどのような戦略をとってきたのだろうか。ラバンによる「空間の芸術」、バランシンによる「音楽の視覚化」とはいったい何か。舞踊現象そのものに立ち戻ることによって浮かび上がる“舞踊のメディア史”。
春秋社