現代日本の輸送園芸産地の成立の背景には、近代期における外来野菜の導入を通じて、それらの野菜の試作や作付を開始した農民や作付の指導者、そして流通の販路形成に携わった商人による先駆的な生産・販売活動の延長線上にある場合が考えられる。本稿は具体的な対象野菜として、代表的な外来野菜であるタマネギを事例として、その栽培の嚆矢となった北海道における導入過程をとらえながら今日の輸送園芸産地の形成にどのような関わりを持って産地化の礎が築かれたのかを農業地理学の視点から考察したものである。前稿(Ⅰ)では近代期に旧札幌村を中心に、どのようにして外来野菜としてのタマネギが導入されて主産地化の素地がつくられたのかを述べた。本稿(Ⅱ)では近代期における札幌以外の産地として北見市、富良野市、岩見沢市への伝播の実情をのべるとともに、岩見沢市を事例に、北海道への移民による入植時期の差異が、タマネギ導入の先発農家と後発農家の時間差を生み出し、両者における農地の土地生産力の格差はタマネギ生産の収益性において差額地代を発生させていることを明らかにした。近代期に入植し有利な土壌(自然堤防)でタマネギを導入した先発農家は、現代における大型輸送園芸産地化の過程の中で後背低湿地に入植せざるを得なかった後発農家に対して超過利潤を得ることになったと言える。しかしながら近代期からの長く培われたこれらの先発農家群の高い生産技術水準は、普及機関を通じて周辺地域への「耕境の拡大」すなわち輸送園芸産地化をもたらし、地域形成の中心的担い手としての重要な役割を果たすことになったのである。