水戸・江戸間の内陸運河
日本地理教育学会例会
近世江戸時代、東北地方からの物資が、もし鹿島灘を通らず水戸から江戸に物資を送ることはできたら便利であっただろう。その計画は実際存在したが、工事半ばで頓挫してしまった。涸沼と北浦を結ぶ掘削は松浪勘十郎によって着手され「勘十郎堀」と命名されたのだが、計画半ばで断念されてしまった。この背景、理由を考察した。菊池泰男と協同発表。