従来の「脱魔術化」解釈には、特定の「近代化」を普遍化し、それを宿命的なものとする傾向がある。しかし18世紀の用語法にまで遡って検討すると、「脱魔術化」の語は同時に、新たな世界の「魅力」に惹かれる「再魔術化」でもあるという二重構造がみえる。ヴェーバーの脱魔術化論についても、それを近代化の論理と関連づけるのではなく、「脱」と「再」のはざまで生じた世界像の支配にかかわるポリティクス、すなわち誰が、何を、どのように排除するのかという「合理化の裏面史」を読みとることで、新たな歴史理解の可能性が開かれることを指摘した。