政策情報学の視座―新たなる「知と方法」を求めて―
担当章では、江戸前期、幕府武家政権が文化・教育に対して如何なる態勢で臨み、何れの方策をとったのかを考察するため、後に幕府直轄の人材養成機関、昌平坂学問所となる前身の林家塾において寛文六年(1666年)に制定された「忍岡家塾規式」を手掛かりとして取り上げ、分析した。「忍岡家塾規式」の制定について、一方の林家塾の期待と狙い、他方の幕僚等の思惑と働きという二つの側面から考究した。
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