古代アテナイにおいて決議碑文がアクロポリスに建立されるという文化が、歴史的にどのように成立したのかについて、アクロポリスという場の通時的変遷を概観することから考察した。この中で、本来アクロポリスと密接に関連したモノや碑文の奉納・建立の場であったアクロポリスが、前447年にはじまるアクロポリス再建事業の進展によりいかに公的碑文の展示の場と変容していったかについて論じた。とりわけパルテノン神殿の落成と公的碑文建立の習慣の成立についての関連を論じ、また地方聖域における碑文建立の習慣とアクロポリスにおける碑文建立のあり方とを比較検討した。本論文は、2011年に日本語で発表した[決議碑文の建立の場としてのアクロポリスの成立」を大幅に加筆修正し改稿したものである。